張 藐(ちょう ばく)は、中国三国時代の魏の人物。皇帝曹芳の舅である張緝の子。本貫は司隸左馮翊高陵県。
事績
嘉平6年(254年)、父の張緝は夏侯玄・李豊と共に、専横を極める司馬師を排除するクーデターを計画し、張藐も張緝・李豊間の連絡役という形でこれに参画していた。
しかし同年2月に陰謀は露呈。張緝は獄中で死を賜り、張藐も同時に処刑された。
出典
- 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻15 魏書 張既伝(中国語版ウィキソース)
脚注
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張 藐(ちょう ばく)は、中国三国時代の魏の人物。皇帝曹芳の舅である張緝の子。本貫は司隸左馮翊高陵県。
嘉平6年(254年)、父の張緝は夏侯玄・李豊と共に、専横を極める司馬師を排除するクーデターを計画し、張藐も張緝・李豊間の連絡役という形でこれに参画していた。
しかし同年2月に陰謀は露呈。張緝は獄中で死を賜り、張藐も同時に処刑された。
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