津軽 順朝(つがる ゆきとも)は、江戸時代後期の津軽氏一門。書院大番頭兼参政。津軽百助家の当主。
略歴
津軽朝定の子として誕生。本家・弘前藩10代藩主・津軽信順から偏諱を受けた。
幕末、弘前・黒石両家で藩祖・為信の血統が途絶えたため、その血を引くこの家から血統の復活がはかられ、順朝の2人の息子がそれぞれの家を継ぐこととなった。しかし、弘前藩主家の養子となった長男・承祜は早世して跡を継ぐことが叶わず、熊本藩主の細川氏から養子を迎える結果になった。黒石藩主家を継いだ次男・承叙の血統も、その長男である津軽類橘(るいきつ)の代に途絶えている(類橘の跡は池田源の子・津軽益男が継いだ)。
系譜
- 父:津軽朝定(ともさだ) - 朝定の父の津軽朝儀(とものり)は黒石津軽家5代当主著高の弟で、津軽百助家に養子入りした。
- 母:不詳
- 室:芳光院 - 高倉盛儀の娘
- 次男:津軽朝澄(1840-1903) - 後の承叙、黒石藩最後の藩主、津軽承保養嗣子
- 生母不明の子女
- 長男:津軽承祜(1838-1855) - 弘前11代藩主・津軽順承の婿養子
- 女子:那須資礼養女 - 那須資興(資礼の養子・松平宗秀の四男)室
略系図
脚注




