戸田 廉吉(とだ れんきち 1901年 - 1945年7月26日)は、日本の元アマチュア野球選手、大日本帝国陸軍軍人。和歌山県出身。ポジションは外野手。

来歴・人物

和歌山中学(現・和歌山県立桐蔭高等学校)在学中は、甲子園に3回出場(夏3回(1919年、1920年、1921年))。最後の出場となった1921年夏の大会では、初戦の神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)戦と、決勝戦の京都一商(現・京都市立西京高等学校・附属中学校)戦でホームランを放ち、同校の初優勝に大きく貢献した。ちなみに、この大会での和歌山中は4試合で75点という、未だに破られていないチーム得点の大会記録を持っているが、戸田もまた2本塁打という大会最多本塁記録をもって、このチームの大記録に花を添えたのであった(第7回全国中等学校優勝野球大会の項も参照)。

1922年に早大に入学、大学野球でもリーグ戦に出場した。しかし早大卒業後応召され、大日本帝国陸軍第28軍に配属。1945年7月26日(終戦19日前)にビルマの戦いにおけるシッタン作戦従軍中に、ビルマ・シッタン河で溺死(戦死)した。享年44。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている。

脚注


戸枝 陽基さん 参議院議員 えとうせいいち

平戸廉吉詩集 / 平戸廉吉 川路柳虹・萩原恭次郎・山崎泰雄・神原泰編 [32072] 書肆田高

平戸廉吉詩集 復刻版 / 平戸廉吉 [32111] 書肆田高

KEIKO KISHI 久我 美子, 森繁, 岸

平戸廉吉詩集 / 平戸廉吉 川路柳虹・萩原恭次郎・山崎泰雄・神原泰編 [32072] 書肆田高